14・80年代の幕開け
14 beginning of the 80's  
 70年代後半、巨大化したロックへのカウンター・パンチとして、「下手でも良い、シンプルなロックン・ロールが演りたい、聴きたい」という欲求を持った、ラモーンズを筆頭とするバンドやミューシャン達が、ニューヨークのクラブCBGBで暴れだし、同じ欲求を持った若者たちの支持を受け始めた。薄汚れた服と、ぼさぼさの髪、勢いだけの下手な演奏に、若いフラストレーションたっぷりの激情を歌った彼等は「パンク(下らない人間、チンピラ、若僧という意)」と呼ばれた。その音と態度は海を隔てたイギリスにも飛び火した。そして、メッセージと勢いだけのニューヨーク産のパンクに、ポップ・アート風のファッション性(レコード・ジャケット、安全ピン、穴の開いた服、Tシャツに書かれた過激な文字、とんがった短髪など)も加えたセックス・ピストルズの登場によって、一気にパンクは「カッコいい」一つのムーブメントとして世界中に飛び火する・・・。
 様々な進化を遂げて来たロックは、さらに進化する事を拒み、ここでその本来的なルーツへ回帰するという動きに変わってくる。要するにパンクは、前の走者からの<バトン>を受け取らず、放り投げて、ロックの長い歴史をリセットしてしまったのだった・・・。しかし、進化を拒む事それ自体が進化だったのではないか、とロックすら無くなった現代を生きる僕はそう思う。

 こうして、がむしゃらな進化と成長を遂げて来た70年代は終わりを告げる。普通のロック教養本なら、ここで一息つき、80年代は暗黒の時代として、「これといって、特筆すべき物は無い」という風に、わずか数ページで片付けてしまう事だろう。そう、ロック評論も含むあらゆるサブカル・ジャーナリズムにおいて、80年代ほど馬鹿にされ、嘲笑され、無きものと片付けられてしまう時代も無いのだ。それは一体何故なのか?

 まず予備知識として、80年代カルチャーの大まかな特徴を述べよう。80年代と言ったら、(人によって違うかもしれないが)まず思い浮かぶのが「お気楽」「ノー天気」「楽しい」と言ったイメージなのではないだろうか。それは雑誌やテレビ、ラジオ、映画、インター・ネット、あらゆる所で、上の様なイメージを80年代の説明として付けているから、リアル・タイムを知らない人でも、そういうイメージを持ち得るのだろう。何よりこの僕が、リアル・タイムを生きていなかったくせに、上の様なイメージを勝手に持っているのだから。しかし、そのイメージは、間違っているのだろうか。80年代には楽しい映画や音楽が沢山ある。そういう物を観たり聴いたりしたら、「ああ、何か楽しそうな時代だなぁ」とか「バッカみてぇ」と思ったりするのが、普通である。
 そんな80年代の「楽しい」の象徴として、音楽と映画が完全に結びついた「サントラ映画」という物がある。それは映画のストーリーや内容よりも、むしろバックで流れるポップ・ソングの為に作られた感の強い映画の事で、77年公開の青春映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の爆発的ヒットにより、始まった映画スタイルだ。映画「サタデー〜」は、ビージーズというイギリス出身の三人組ポップ・バンドが主な音楽(主題歌や挿入歌)を担当し、彼等が手がけた同映画のサウンド・トラックは、全世界で合計2500万枚(!)を売りつくす、モンスター・サウンド・トラックとなったのだった。それ以降、映画とポップ・ソングは、切っても切れない関係となる。「グリース」(78年)「フラッシュ・ダンス」(83年)「フット・ルース」(84年)「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85年)「トップ・ガン」(86年)「マネキン」(87年)・・・。90年代に入っても、「ボディー・ガード」(92年)「タイタニック」(98年)など、今や映画を作ったら、サントラも売るのが当たり前となっている。その構図が始まったのが八十年代だ。 
 確かに映画と音楽は、大昔から「切っても切れない関係」になっていた。ミュージカル映画なんてのがあった位なのだから。しかし、ロックやポップスがふんだんに使われた事は無かった。(まぁ「イージー・ライダー」や「卒業」を始めとする「アメリカン・ニューシネマ」に例外はあるが)

 では何故、「音楽先行型」と言っても良い位の、内容の薄い、誰にでも分かる様な、ハッキリ言って幼稚な映画を、映画界と音楽業界が手を組んでまで作らなくてはならなかったのか、次回はその構造を分析しよう。 




学園音楽映画「フットルース」






サントラ映画の火付け役となった
「サタデー・ナイト・フィーヴァー」







ビージーズ