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22. カート・コバーンの死 
 衝撃的なデビュー・アルバムと、エキセントリックな言動で大衆的成功を収めたカート・コバーン。しかし、それは自分が最も忌み嫌う<スター><偶像>への階段だった・・・。
 とは言うものの、92年には女優で歌手でもあるコートニー・ラブと結婚し、「90年代のシド・アンド・ナンシー」と持て囃される。こういう騒がれる事が分かり切っている、確信的な行動をしておきながら、彼はプライバシーの欠如や、マスコミが報道する無数のゴシップに怒り狂った。
 その怒りと苦悩は93年発表のセカンド・アルバム「イン・ユーテロ」に詰め込まれた。これが前作よりも過激で、内向的で、絶望的で、本人曰く「売れないように作った」という程の、怒りに満ち満ちた問題作だったにも関わらず、またもや全米ナンバー・ワンを獲得。ますますスター街道一直線だ。
 売れたくないのに、スターにはなりたくないのに、世間は騒がしたい、注目されたい・・・。自己矛盾とジレンマに陥った彼はドラッグに溺れ出し、その行動も痛々しいほど不可解になっていった。
 そして94年の3月、鎮静剤の過剰摂取で入院するが、脱走。同年4月、自宅で猟銃自殺を遂げる。
 

自分はもうずっと長いこと、音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、何かを書くことにも、喜びを感じなくなってしまった。例えば、ステージ裏に戻って、ライトがすべて消えた後、熱狂的な聴衆の絶叫も、聴衆の愛と崇拝を喜び楽しんでいたフレディ・マーキュリーが感じたように、喜び楽しむことはできなかった。フレディ・マーキュリーみたいにできるのは本当に立派だし羨ましいと思う。
 自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。ただの一人も騙したくない。自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと。そう、時々ステージに出て行く前にタイムカードでも押しているかのような気分にかられていたんだ。 
(ウェブサイト『カート・コバーンの遺書を詠む』より引用)


 
ロックスターの「早すぎる死」は珍しいことではない。ジミヘン、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンら「3J」しかり、シド・ヴィシャスしかり、ジョニー・サンダースしかり、ブライアン・ジョーンズ、マーヴィン・ゲイ、フレディ・マーキュリー、ジョン・レノン・・・・・・と枚挙に暇がない。
 しかしカート・コバーンの死がこれら先人たちの「死」と決定的に違うのは、その「死」がイデオロギー(思想)もしくはメッセージを内包している点である。そのイデオロギーとは、上の遺書にあるように、「自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。ただの一人も騙したくない。自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと」といった言葉に如実に表れている、純粋主義である。
 
 ロックとはエンターテイメントであるという立場を取る人なら「何を今さらそんなネゴト言ってんだ?このアマッタレが!」とツッコミを入れたくなるだろうが、80年代の極めて大衆的な、悪く言えば「まやかし」的な空気に対して違和感を感じていた一部の若者や同時代のアーティストたちには、このカート・コバーンの自殺は、ロックビジネスのあり方、ないし自らの活動のあり方を根本から見つめ直させる<訓戒>(教え諭していましめること)と受けとられたのである。

 「3J」の死もショッキングだったに違いないし、一つの時代の終わりを告げるものだった。ジョン・レノンの死も、全世界に深い悲しみを与えた。しかしそこには「驚き」や「悲しみ」はあっても、イデオロギーは存在しない。ジョン・レノンは極めてイデオロギッシュなミュージシャンだったが、その死は単なる「不幸な死」以外の何物でもなかった。何かに抗議して焼身自殺を計ったわけではないし、ましてや反対派の勢力によって殺されたのでもない。
 しかしカート・コバーンの自殺は、インパクトとして、「焼身自殺」に極めて近いものがあった。

 
 そのため、彼の死後、ただでさえ灰色がかっていた音楽シーンはさらに暗澹(あんたん)とした雰囲気に包まれることになった。
 もうギラギラした派手な衣装を着たり、満面の笑みを浮かべて歌ってはいけない。オープンカーで街を走り回り、ケバイ婦人警官と仲良くなるようなビデオ・クリップは作ってはいけない。セレブ然として振る舞ってはいけない。高級車に乗っていてはいけない。ハンサムすぎるフロントマンは無精髭を生やして少しでもルックスを落とさなければいけない。アルバムジャケットはダークにしなければいけない。

 そんな「カート・コバーン・シンドローム」ともいえる<自粛ムード>が音楽シーンに蔓延し始めたのである。MTVは殺風景なセットで歌う地味な服装のミュージシャンたちの陰気な歌で埋め尽くされ、当のミュージシャンたちも「KY」呼ばわりを恐れてか、まるで「僕は、私は、成功したことで苦悩しています。金持ちになったことにちゃんとヤマシサを感じています!!」と書かれたプラカードを肩からぶら下げているかのようによそよそしく振る舞った。
 
 しかし全世界がそんなお通夜のような雰囲気に包まれていたわけではない。80年代後半からイギリスはマンチェスターを起点に生まれたひとつの音楽スタイルが、カート・コバーンの死の直後、二つのバンドの登場により、イギリスで大きなムーヴメントを呼び起こす。


カート・コバーン





2nd 「インユーテロ」
その他のグランジ/オルタナ名盤


パールジャム「TEN」



スマッシングパンプキンズ
「メランコリー
そして終わりのない悲しみ」




ナイン・インチ・ネイルズ
「プリティ・ヘイト・マシーン」




アリス・イン・チェインズ
「ダート」


         


目次 
1.エルビス    6.ウッドストック   11.プログレ   16.ニューウェーヴ   21.グランジ
2.ビートルズ登場   7.グラムロック   12.NYパンク   17.ガールズポップ   22.カートコバーンの死
3.ボブ・ディラン
  8.三大ギタリスト   13.セックスピストルズ    18.ヘヴィメタル   23・4.ブリットポップ 
4.狂宴の60年代   9.パープルとツェッペリン   14.サントラ映画   19.LA.メタル   25. 多様化・細分化
5.ロックと芸術    10.70年代ロックシーン   15.産業ロック   20.ガンズとメタリカ    

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