行政書士 大野事務所



 
psychedelic 4. 狂宴のサイケデリック〜3Jとアメリカの青春〜

ジミ・ヘンドリクス




ジャニス・ジョプリン




ジム・モリソン



サイケデリックなデザイン




ドアーズの1stアルバム
「ハートに火をつけて」
(67年)





ステージでギターに火をつけるジミヘン

ジミ・ヘンのギターを聴くと、ぬかるみの中をすっ裸でもだえているような、イヤラシイ気分になる。ジャニスの歌声を聴くと、でかいビルでも一突きでぶっ壊してしまえるくらい強気になってくる。ドアーズの曲を聴くと、「2001年宇宙の旅」のように、自分も胎児にもどってイメージの宇宙をふわふわと漂っているような気分になる・・・。

人によって感じ方はさまざまだが、少なくとも、彼等の音楽を目をつぶって聴いていると、普段の自分より、より官能的な、より力強い、よりイメージ豊かな自分に出会えるのではないだろうか。要するに彼等の音楽を聴けば「ドラッグをやるとこういう気分になるのかな」という疑似体験ができるわけだ。
 
 このような、ドラッグによって生み出された幻覚やイメージ、精神作用にインスピレーションを求めた音楽やファション、または生き方を形容して「サイケデリック」(psychedelic)と呼ぶ。
 1957年に精神科医のハンフリー・オズモンドという人が「psycology(心理学)」と「delicious(おいしい)」を結び付けて作った造語と言われる。
 ドアーズもジミヘンもジャニスも、音楽的には黒人音楽にルーツを持つ「ブルースロック」(ドアーズはジャズの要素も強い)に属するが、後述する60年代のドラッグ・カルチャーを象徴するアイコンであったため、しばしば「サイケデリック・ロック」と称される。

ドラッグは人を自由にする。道徳観念や羞恥心を一瞬で吹き飛ばしてくれ、心の趣くまま、体の欲するがままの自然な状態に人を導く。また、楽観的になり、些細なことに頓着しなくなる。自分が大きくなったような気がして、何でも出来るパワーをもったような錯覚を起こす。そして、知覚が鋭敏になり、見たこともない奇抜なイメージが溢れ出てくる。
 60年代後半に現れたヒッピー達は、そんな万能の夢の薬をとことん使って、理想の世界を構築しようと自らの体をもって実践した。
 髪は伸ばしたい放題に伸ばし、セックスはやりたい時にやりたい相手と交わる、ステップなんて気にせず踊りたいように踊る、食べ物を持つものはないものに分け与え、寝ぐらのあるものはないものにそこを開放する、川の水を共有し、羞恥心を捨て男も女も裸で水浴びをする・・・。


 今まで道徳や既成の価値観という名で縛り付けていたものを一気に解き放ち、科学万能主義を嫌い、効率主義を呪い、自由と自然を愛し、暴力を憎み、あらゆる人間と交流を持って、人間であることを祝い合った。
 ボブ・ディランやビートルズによってロックは社会的なメッセージ性を強くし、それに目覚めた若者たちはさらに人間本来の理想の世界、理想の生き方を模索していったのだ。

 「新しい生き方の実験」、それがヒッピー文化だ。

そしてヒッピー文化を支え、また支えられて象徴的な存在となったスターが、先に記した、ジミ・ヘンドリクスジャニス・ジョップリン、ドアーズのジム・モリソンの3人、いわゆる「3J」であった。

3Jに限らず、この時期のミュージシャン達のほとんどはドラッグをやっている。派手なパフォーマンスもこの時期最高潮だ。
 ジミ・ヘンはギターを歯で弾き、アンプをレイプし、ギターを燃やした。そんなジミ・ヘンと競い合うかのように、ザ・フーは演奏後すべての楽器を破壊しつくし、ジム・モリソンはステージで「Fワード」を連呼し、パンツを下ろし局部をさらした。
 後に「パンクの神様」と言われる「ストゥージズ」のイギー・ポップは、全身にピーナッツバターを塗りたくって観客席にダイブした。今でこそ見慣れたパフォーマンスだが、当時としては気違いじみた行動だった。また、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミーペイジがバイオリンの弓でエレキギターを弾いたのも有名だ。

この人達は、「やってはいけない」ということすべてに手を出したんじゃないかというくらい、やりたい放題をやらかしている。「やれないことはない」と言わんばかりだ。
 当然、そんなミュージシャンやヒッピー達を押さえつけようという動きが出てくる。警察の介入である。ドラッグや公然わいせつ罪などで逮捕されたミュージシャンは、数え切れない。


 こうして、ミュージシャンと警察の衝突は繰り返されることになり、「ロック=反権力」という型が文字通り現実のものとして確立されていったのである。


第5話「その時ロックは芸術に目覚めた」 続きを読む⇒




    


産廃 許可 行政書士