1.エルビス・プレスリー  ELVIS!

 ロックの歴史を語るなら、本当は百年以上さかのぼってアメリカ南部の黒人奴隷が日々の労働の苦しさを忘れる為「ブルース」とか「賛美歌(ゴスペル)」を発明した事から始めなければならないだろう。しかしそこから書き出すとそれだけで数回分の枚数を使ってしまうので、当サイトではその辺は割愛することにした。
 とりあえず基礎知識としては、ロックン・ロールの基礎は黒人が創ったとだけ知っていれば問題はない。なぜなら、これを否定する人間はまずいないからだ。

 さて、ロックン・ロールはそんな黒人奴隷達の発明したブルースや賛美歌をチャック・ベリーリトル・リチャードといった人たちが、色々工夫(速くしたり、叫んでみたり)し、進化させて誕生した<新しい娯楽>だったのだが、それが黒人だけでなく、少しずつ、そして着実に白人にも受け入れられるようになっていった。
 そして、そのうち白人の中でもギターを持って黒人の模倣をする若者が現れ出したのである。しかも中には黒人に負けず劣らず、優れた<ブルース・フィーリング>を備えた若者もいた。

 エルビス・プレスリーはそんな中、最初に人気を博した白人のロックン・ローラーだった。
 プレスリーはミシシッピ州の非常に貧しい家庭に生まれ育ったが、13歳の時にテネシー州のメンフィスに引っ越し運命が決まった。メンフィスには貧しい黒人労働者たちが多く住んでおり、近所の教会で毎週ゴスペル集会をやっていたのである。少年エルビスはそこに毎週通い続け、黒人特有のリズム感と歌唱法を身に着けた。
 デビュー時に、ラジオでエルビスの曲が初めてかかった時、リスナーの誰もがてっきり黒人が唄っていると思い込んでいた、という逸話があるほど、エルビスの歌は白人離れしたものだったのである。

 同じような、人種の壁を超える才能の持ち主に、ヒップホップ歌手のエミネムがいる。エミネムはかつて「自分はヒップ・ホップ界のエルビスだ」と自嘲的に言ったが、黒人の発明した音楽(ヒップホップ)で白人・黒人の双方から人気を集めている自分がエルビスと似ていると思ったのであろう。
 確かに、ロックン・ロールもリズム・アンド・ブルースもヒップ・ホップも全部黒人が創った。にもかかわらず、そのジャンルで「キング」の称号を得るのは往々にして白人である。

 映画「天使にラブ・ソングを2」で、黒人の生徒が白人の同級生に、「お前らは何でも真似しやがる、少しは自分で何か創ってみやがれ」とケンかを売るシーンがあるが、この台詞の背景には、黒人は「発明」はするが、大衆的成功は「真似した」白人がかっさらってしまうという皮肉な構図に対する憤りがある。事実、エミネムも世界的な成功を収めた。

 とにかく、エルビスとはそういう存在だったのだ。当たり前のように黒人が差別され、白人と一緒にバスにも乗れなかった時代に、彼は人種の壁を越えて人気を誇った、類稀な天才シンガーだった。
 そしてその成功の要因は、ただ歌が上手いとか、顔がカッコイイとか、それだけではなかった。彼はロックを初めてエンターテイメント化したのだ。それゆえ歴史に名が残っていると言っても過言ではない。「エンターテイメント」と言っても、キッスみたいにやるにはまだ早い。その男、エルビス・プレスリーは腰を振った。歌いながら腰をカクカクと振ったのだ。
 そして「セックス・アピール」という、黒人のやらなかった(許されなかった)技を、彼は発明し、そして完成させた。

 その余りにあからさまな性の表現は、人種関係なくまさに前代未聞。当時の人々の目には「見てはいけない物」として映った。
 当然ながらエルビスは「いかがわしい反教育的な見世物」としてPTAや教会、保守系政治団体などから猛抗議を受けることになるのだが、同時に、エルビスの並外れたスター性と、暴力衝動や性衝動をも肯定するような激しくもゴキゲンな音楽は当時の若者の「欲求」を見事に昇華させるものだった為、熱狂的な人気を集めてしまった。

 このような事から、「タブーを犯して何ぼ」というロックの反社会性または「反教育的」「反道徳的」な表現が、エルビスによって確立されたという事が分かる。

第2話「ビートルズ旋風と「ロックバンド」 続きを読む⇒




綿摘みをする黒人奴隷



チャック・ベリー




リトル・リチャード
足でピアノを弾いた。

























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