18. ヘヴィメタ黄金時代 | HEAVY METAL |
80年代のロック史を語るのなL.Aメタルを代表とする「へヴィー・メタル・ブーム」は避けては通れない。本でもビデオでも良いが、「ロックの歴史」と銘打ったもので、真面目にヘヴィ・メタルを論じているものは極端に少ない。ヘヴィ・メタルの歴史を真摯に解説してくれるのは日本では音楽雑誌の「BURRN!」ぐらいである。 90年代以降台頭してくる事になるグランジ系ロックバンド(後々詳しく説明します)の中には、オジー・オズボーンのことを「グランジの祖」としてリスペクトしたバンドも多く存在したが、それも所詮は70年代までのブラック・サバス時代のオジーのことを言っているに過ぎない。 したがって、ここでは少し80年代のHM/HRについて触れたいと思う。 70年代末期、パンクの誕生がその後に及ぼした影響がいかに巨大だったとはいえ、それは当初は小さなブームの一つでしかなかった。 エディーの「ライト・ハンド奏法」(注:本来ギターはピックで弦をはじく様にして弾くのだが、エディーはピックではなく指で、弦を押さえつけるようにしてギターを弾いた。だから「ライト(右の)ハンド(手)」奏法)・・・を駆使したギター・プレイは多くのギターキッズを熱狂させ、これによってエディーは新世代のギター・ヒーローとなった。後続のへヴィ・メタル・バンドのギターリスト達はこぞってこの「ライトハンド奏法」を習得し、ギターソロに取り入れた。 速弾きといえば忘れてはならないのが元祖「超絶ギタリスト」のリッチー・ブラックモアだが、彼はディープ・パープルを脱退して75年に、(L・Aにある酒場から名前をもらった)レインボーを結成し活躍を続けていた。 さて、そんな大物たちを追い越せ追い抜けと、イギリスから続々とフレッシュなバンドが登場する。モーターヘッド、サクソン、ジュ―ダス・プリースト、アイアン・メイデンなどだ。彼らはパンクのスピード感と反骨精神に洗礼を受けつつも、ツェッペリンやパープルのような伝統的なハードロックにも心酔していた。 「イギリス・ヘヴィメタルの新しい波だ」と。 この、「ニュー・ウェーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィーメタル」(NWOBHM)と呼ばれる新しい潮流は、メタリカ、スレイヤー、さらにはオフスプリング、SUM41にまでいたる「スラッシュメタル」「メロコア」「エモ」という「支流」を作ることになる。 そしてブラック・サバスを脱退したオジ―・オズボーンは、アメリカのL・A(ロサンゼルス)で、元クワイエット・ライオットのギタリストだった、ランディー・ローズと出会い、彼をリード・ギタリストとして迎えたアルバム「ブリザード・オブ・オズ」(80年)でソロ・キャリアをスタートさせた。(オジ―はこのランディー・ローズを初めとして、ジェイク・E・リーやザック・ワイルドといった当時無名だった、後の名ギターリストたちを次々と発掘した) このような状況に加えて、オーストラリアからはAC/DC、ドイツからは70年代から活躍を続けているスコーピオンズ、アクセプト、そのスコーピオンズにも参加していたギタリスト、マイケル・シェンカーのマイケル・シェンカー・グループなどなど、パンクなんかドコ吹く風といったぐあいに、世界のあちこちでへヴィー・メタルの炎が燃え上がっていった。 そして、そんな状況下でいよいよアメリカからLAメタル最強のバンド、モトリー・クルーが誕生することになる。 |
「炎の導火線」 デイヴィッド・リー・ロス ライトハンド奏法をする エディ・ヴァンヘイレン Dパープル脱退後 ホワイトスネイクを 結成したD・カヴァデール アイアンメイデン1st アイアンメイデン Tシャツにデニムが特徴 ジューダスプリースト こちらはレザーに鋲。 ランディ・ローズ 飛行機事故により 25歳という若さで 世を去った。 |