GRAM ROCK 7. 怪物大行進〜グラム・ロック〜

アリス・クーパーといえば
パンダ風アイメイクと蛇!





客席ダイブは
イギー・ポップが元祖



ストゥージズは後の
パンクロックに大きな
影響を与える。




デヴィッド・ボウイ


山本寛斎が手掛けた
歌舞伎風ステージ衣装
を着るD・ボウイ



「ジギー・スターダスト」






マーク・ボラン
自動車事故により
29歳の若さで世を去った
 ヒッピー・ムーブメント吹き荒れる60年代後半の(アメリカの)ロック・シーンの中で、明らかに他のバンドとは毛色の違う音を鳴らしている連中がいた。イギー・ポップ率いるザ・ストゥージズと、ショック・ロック・バンド、アリス・クーパーだ。「ラブ・アンド・ピース」なんて雰囲気からは程遠いイメージと過激さで、観るものを圧倒していたこの2つのバンドは、「ラブ」を蹴散らし、「ピース」をぶった斬りながら、共に69年にレコード・デビュー。

ドアーズの詩世界と芸術性、ヴェルベット・アンダーグラウンドの革新性とやかましさ、ローリング・ストーンズのノリと猥褻(わいせつ)さをごちゃ混ぜにしたようなこの二つのバンドは、革命に燃えるインテリ大学生を尻目に、社会のはみ出し者ども(ヴェトナム帰還兵、失業者、中途退学者など)の支持を受けながら、徐々に勢力を伸ばして行く。

ピーナツバターを全身に塗りたくって客席にダイブするなど、ちょっと革新的過ぎた(ブッ飛び過ぎた)イギー・ポップに比べ、アリス・クーパーは分かり易かった。彼等はホラーとアニメを体現した。ギロチン・パフォーマンスを行い、本物の大蛇を首に巻き、74年のツアーでは、本物のドル紙幣を客席にばら撒いた。また、顔面に妖しいメイクを施したのもアリス・クーパーが最初だった。彼等は「キッス」の登場より先に、大掛かりなエンターテイメント・ロックを作り上げていたのだ。

そして翌年の70年に、イギリスで新たなる「怪物」が誕生する。オジー・オズボーンを看板とした、ブラック・サバスである。同名ホラー映画からバンド名を取った彼らも、今までにない気色悪さを武器にしていたのだが、彼等の最大の特徴はそんなビジュアル的な「気色悪さ」ではなく、その重い詩世界とサウンドだった。
 ブラック・サバスの曲は、今の感覚からするとかったるい程テンポが遅く感じられるが、その遅さが、黒魔術的なダークな詩と合わさって、金属的なズシリとした重量感を出していた。後に彼等は「ヘヴィー・メタルの祖」と言われる事になる。

さらに同じ頃のイギリスで、デビッド・ボウイという名のシンガー・ソング・ライターが、アポロの月面着陸成功と、映画「2001年宇宙の旅」に触発され、「スペース・オデティー」というアルバムを発表していた。物語的な詩と、浮遊感と緊張感溢れるサウンドは、新たな時代の訪れを告げるものであった。
 そして72年、彼は自らを「ジギー・スターダスト」という架空の登場人物に見立てて、「ジギー・スターダスト」というアルバムを発表する。
 
 当時の彼の、赤くとんがった頭髪に眉毛を剃って、青いカラー・コンタクトを入れ、紅を塗った顔、歌舞伎を思わせるような東洋的な衣装というルックスは、若い女の子のハートをいとも簡単にかっさらった。

 「男なのか、女なのか分からない」というのは、60年代初頭に、ビートルズもストーンズも言われた事だったが、ボウイの場合本当に分からなかった。それどころか地球人なのか宇宙人なのかも分からないといった雰囲気だった。それは彼の生まれながらに持っていた両性的な魅力と、その魅力を最大限に活かす為に練られた緻密な計画による賜物であった。
 
 この「ジギー・スターダスト」の発表により、「グラム・ロック」という、新たなるジャンルがロック・シーンに誕生した。
 他にも、マーク・ボラン率いるT-REXロキシー・ミュージックモット・ザ・フープルなども、ボウイに負けず劣らず妖艶なルックス(女装や化粧)とキャッチーな音楽性で人気を博した。
 音楽的には全く違うが、「男が女装をしてゴリゴリのロックをやる」という意味においては、80年代のLAメタルや、日本のヴィジュアル系のルーツといえる。

ところで、一枚のアルバムが小説の様にストーリー仕掛けになっているアルバムをコンセプト・アルバムと言うが、D・ボウイの「ジギー・スターダスト」は、ザ・フーの「トミー」(69年)と並んで、コンセプト・アルバムの代表作と言われている。
 「ジギー・スターダスト」のストーリーは、スターダムを昇り詰めたロック・スターが、自らを神だと思い込み、ファンやバンドから放り出されてしまうという、自虐的なストーリーだが、この「自虐性」こそがグラム・ロックだという見方も出来る。

己を完全に見世物と化して役を演じる。アリス・クーパーのギロチンや、イギーポップの気違い染みたパフォーマンスがそうだ。アリス・クーパーは、「歌詞を書くというのは、懺悔をしているようなものだ」と言ったが、自分を馬鹿に見せたり、傷つけたりする事によって、演じる者と、観ている者との間にある種の快感が生まれるのだろうと僕は思っている。そしてそれは激しければ激しいほど良い。

という訳で、デビッド・ボウイらの登場で一気にグラム・ロックは世に知れ渡った。と同時に、上に書いた様な、ある種の「型」「様式」も出来上がった。
 
グラム・ロックは己の内面にある<醜>や<愚><弱さ>を、化粧や詩、パフォーマンスで表し、発散する音楽である。
 60年代が完全に外向きだったのとは対照的だ。60年代は外の人間(自分以外)を変えさせる事が何より大事で、自分はいつも正しい。
 ジム・モリソンや、ヴェルヴェッツが、グラムロックにも影響を与え得たのは、彼らが60年代にしては内向きで、自己の内面と戦い、それを惜しげもなく詩や音楽で放出したからではないだろうか。

第8話「ギターが唄ったとき〜三大ギタリスト〜」 続きを読む⇒




    



産廃 許可 行政書士