20. 夢から現実へ〜ガンズとメタリカ〜 | GN'R METALLICA |
デビッド・ボウイが83年に発表したアルバムタイトルは「レッツ・ダンス」だった。
ところが、そんなMTVの恩恵をほとんど受けることなく、81年の結成からじわじわと人気を博し、80年代も後半にやっと人気を不動のものにしたバンドがいた。
個人的にはこういう男たちを嫌いではないが、まぁ、一般的に言って、むさくるしい、汗くさいバンドである。見た目も野獣的なら音楽も然りで、速くてうるさくて重くてメロディーがわかりづらくてドスの効いた低い声で唸るように歌う。分類すると「スラッシュ・メタル」と呼ばれる型に入り、音的にはかなり暴力的で攻撃的である。
このような、ドラマティックなメロディの展開もない暴力的なサウンドで、視覚的にも獣みたいな飾らない屈強な男たちが、86年発表のサード・アルバム「メタル・マスター」のセールスで成功を収めたことは、それまでの「青春を彩る装置」としての音楽全盛期の終わりを予期する事件でもあった。
メタリカと言えば、ガンズ・アンド・ローゼズを語らなければ片手落ちだ。
何かと比べられるメタリカとガンズだが、メタリカに比べ、ガンズの方が見た目もゴージャス、そして、うるさいがブルースに根付いた正統派ハード・ロックでこちらの方が取っつきやすい。メロディーもつかみ易いし、スラッシュ(ギタリスト)のギターソロも官能的だ。しかし、どちらのバンドにも共通する点がある。それは攻撃性である。
前述したとおり、80年代はメタリカ、ガンズが現れるまで、青春を演出する装置としての音楽が主流であった。モトリー・クルーも攻撃的なサウンドではあったが、ビデオ・クリップ等を観る限り、どこか「攻撃性」をポーズとして演出しているような印象を受ける。しかし、メタリカ、ガンズはポーズではなくマジだった。
彼等が以前のバンドや音楽と決定的に違った点は詩の内容にもよく現れている。メタリカは自己の内面や死、孤独、狂気と言ったものを文学作品や映画からの引用を交えて知的に表現していたし、ガンズはセックスやドラッグ、嘘と偽善にまみれた現代社会を痛烈に風刺し、攻撃した。
同時に、やりたい放題のガンズに負けじと、先輩ヘヴィメタバンドたちも底力を発揮。前のページでも書いた通り、デフ・レパードの「ヒステリア」(87年)や、ボン・ジョヴィの「ニュー・ジャージー」(88年)、モトリー・クルーの「ドクター・フィールグッド」(89年)などは、怪物的なセールスを記録し、ヘヴィ・メタ最後の花火を打ち上げたのだった。
80年代の夢のような人生を演出する音楽シーンから、メタリカ、ガンズへ―・・・。
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メタリカ1st 「キル・エム・オール」 マスター・オブ・パペッツ ガンズ1st 「アペタイト・フォー ディストラクション」 ガンズは92年 「ユーズ・ユア・ イリュージョンT・U」 を同時リリース 92年、今では到底 信じられないが この二つのバンドは ジョイントツアー を敢行した 壁の上から花を渡す 西側の女学生 それを受け取る 東ドイツの兵士 ロス暴動 死者63名、負傷者 2,383名を出した。 |