Smart Rock | 15. ロック不況対策〜産業ロック誕生〜 |
ビージーズ 「サタデー・ナイト・ フィーバー」 ジャーニー 「エボリューション」 ジャーニーの スティーヴ・ペリーは ロック史上最高の ヴォーカリストのひとり ボストンの1stアルバム 「幻想飛行」(76年) リーダーのトム・ショルツが 仕事をしながら、 自宅のスタジオで独りで 完成させたデモを 再レコした作品。 全世界で2000万枚を 売り上げた。 REOスピードワゴン 「禁じられた夜」(80年) 15週連続全米No.1 TOTO 「聖なる剣」(82年) 「アフリカ」「ロザーナ」等 大ヒットシングルを収録 フォリナー |
70年代は、後に「ロック史に残る名盤」と謳われるような、質の高いレコードが続々リリースされ、レコードが大量に売れた時代であった。そして同時に、それを送るバンドやミュージシャンが、その能力と技術によって、又は並外れたパフォーマンスやショウによって、ファンや大衆から「神格化」(神様みたいに)された時代だった。 偶像崇拝に飽きた大衆が、今度は「自分が主人公になりたい」と思ったとしても何ら不思議はない。そしてダンス・ホールで主人公になるには、カッコ良く踊れば良いだけだった。大ヒット青春映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のストーリーが、正にそれだった。 そんなディスコとパンクの台頭で、一瞬にして過去の音楽となりつつあった既存のロックは、70年代末期、衰退の一途をたどる。実際、70年代を築いたビッグ・バンドたちも疲れ果てヘトヘトになっていた。 さて、そんなドル箱バンドたちが次々と活動停止したり引退したりする中で、「売れる」商品の無くなった音楽業界は大不況に陥る。本当ならば音楽業界は「新人の発掘」という事をして新たなるスターを生み出し、シーンを活性化させなければならなかったのだが、70年代末期〜80年代初頭のアメリカの音楽業界はそれを怠った。右も左も分からぬ新人を発掘し、育て、プロモーション(宣伝)をするのは莫大な金と時間がかかる。売れるかどうかも定かでない新人に全てを賭ける、そんな博打めいた事はしたくなかったのだ。 もう一つの「ロック不況対策」は、「中堅バンドで安全な勝負をする」という手法である。中堅バンドとはそれなりに名が知れ渡っていて、キャリアもまあまあ有る、新人と違って音楽業界の右も左も分かっている、レコード会社にとって比較的扱い易そうなバンドのこと、もしくはある程度キャリアのあるミュージシャンを集めて作ったバンドのことである。 しかし同時に、何ら主張なり個性なりが感じられない彼等のポップスでもあり、ロックでもあるような聴きやすいサウンドは、「レコード会社の言うままに作った」様に見える事から、「産業ロック」というレッテルを貼られ、一部の音楽評論家から見下された。
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