パンク・ロックとは一体何なのだろうか。今現在ではこのパンクという音楽は、簡単に音楽の形式上の一ジャンルとして捉えるのが一番分かりやすい。しかし70年代後半のパンク誕生当時はちょっと違った。
70年代にロックはどんどん巨大化し、コンサートの規模も、技術も、質も、これ以上ないという域に達していた。もはや常人ではとても真似できないような神業を持つギタリスト、最先端の技術を駆使した実験的な音楽となにやら小難しい歌詞を唄うプログレ・バンド、おカマみたいな格好のグラム・バンド・・・・。
これらのどのジャンルにも馴染めない若者達が勢いに任せて鳴らしたのがパンク・ロックであった。
そのノイジーでテンポのやたら速い、粗末な演奏と攻撃的な歌詞はロックン・ロールが本来持っていた、いい意味での野蛮さと未熟さを甦らせた。
70年代後半に登場した、現在ではリアル・パンクと呼ばれる世代で代表的なバンドといえば、アメリカ・ニューヨークのラモ―ンズとイギリス・ロンドンのセックス・ピストルズである。こうも極端に二つのバンドをあげると、一部からパンクといえばクラッシュだとか、いやダムドだ、パティ・スミス、MC5、ジョニ―・サンダース!・・・などと声が飛んできそうだが、パンクという物を知らない人、または現在パンクと呼ばれている物のルーツを知りたい人はまずこの二大バンドを抑えておくべきだろう。
ラモ―ンズは74年に結成し、その活動の拠点をニューヨークのライブ・ハウス、CBGBとしていた。この「CBGB」というライブ・ハウスは今ではパンク発祥の地としてパンク・ファンの間では聖地的な存在となっている。
というのもこのライブ・ハウスに当時出演していたのはラモ―ンズの他にも、パティ・スミスやテレヴィジョン、ブロンディ、トーキングヘッズ、といった、今でも多くのロック・ファン達にニューヨーク・パンクとして愛されている面々だったからである。
ところで、今でこそパンクといえば「一本調子でやかましい音楽」というイメージが定着しているが、当時このCBGBのステージに上がっていたミュージシャン達は実に自由に、伸び伸びとメインストリームでははじかれてしまうような実験的な音楽を無名ながらやっていた。
パティ・スミスやブロンディーのデボラ・ハリー、トーキングヘッズのティナ・ウェイマス(ベース)など、女性の活躍が目立つのも、NYパンクの特徴である。
そんな数々のバンドに混ざりながらラモ―ンズは自分たちが好み、そして信じた<シンプルでストレートなロックン・ロール>を鳴らし続けた。使うコードはせいぜい3つか4つ。熱唱もドラマチックな展開もなく、飛んだり跳ねたりもしない。ただ、高速のビートに乗せながら「あのガキをバットでぶん殴ってやれ」「俺はキミのボーイフレンドになりたい」といった、単純なメッセージを呟きつづけた。
それはまさしく、当時のやたらと御大層にかしこぶったものが増えたロックの現状に対する【反抗】であった。
ラモ―ンズがやったパンクとは、ロックがロックに反抗した前代未聞の出来事だったのである。
ラモ―ンズは76年にデビューアルバム「ラモ―ンズの激情」の発表から95年の引退宣言まで、同世代のバンドがアッというまに解散していく中、ひたすら自分たちの信じたロックン・ロールを鳴らし続けた。
そして2001年にヴォーカルのジョーイが、2002年には途中でバンドを脱退してしまったがオリジナル・メンバーでベーシストのディーディーが他界し、その歴史に幕を閉じた。
そんな、ラモ―ンズのレコード・デビューの同年、76年にイギリスで一枚のシングルが発売される。「アナーキー・イン・ザ・UK」…
セックス・ピストルズのレコード・デビューである。
第13話「セックス・ピストルズという名の爆弾」 続きを読む⇒
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