3. ボブ・ディラン〜政治と音楽〜 | BOB DYLAN |
アメリカの多くのミュージシャンがイギリス勢の勢いに押されていた当時の状況下でも例外はあった。スティーヴィー・ワンダーやシュープリームスなどを擁するリズム・アンド・ブルースの老舗「モータウン」だけは、こういったイギリス勢の進出に動じる事なく次々とヒットを量産して行った。 さて、ボブ・ディランによって開拓された、当時のフォーク・ブームについて語ろう。 こうした運動熱心な学生たちに支持されていたのがボブ・ディラン等のフォークミュージシャン達だったのだが、当時は、彼らのように社会に対し問題意識を持った曲を唄うフォークシンガー達をひとくくりに「プロテスト・シンガー」と呼んでいた。プロテストとは「異議を申し立てる」または「抗議する」という意味である。 ボブ・ディランは62年のファースト・アルバム「BOB DYLAN」では、ほとんどの曲が自作ではないカバー曲であったが、続く63年の「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」でいよいよその独自の詩世界を打ち出してゆく。そして63年のサード・アルバム「時代は変わる」、64年の「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」の成功によって、彼はフォーク・ファン達から厚い信頼と支持を勝ち取ることになる。
その一方でボブ・ディランもまたビートルズの影響により、それまでアコースティック・ギターだったものをエレキ・ギターに持ち替え、1965年に発表したアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」はロックサウンドを取り入れたものとなり賛否両論を巻き起こした。 といっても、60年代の前半はビートルズを筆頭としたイギリス勢がアメリカに「ロックの逆輸入」をしたのを皮切りに、米英双方の若いミュ―ジシャン達がお互いに刺激し合い、音楽的な面で大きく変化していったのと同時に、ロックン・ロールが若者たちの間で社会運動のシンボルとして支持されるようになりはじめた時期であったことは間違いない。 |
「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」 名曲「風に吹かれて」「戦争の親玉」「激しい雨が降る」収録 3rd 「時代は変わる」 4th 「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」 前作で築いたプロテストシンガーとしてのイメージを嫌い、より内証的な世界へ向かおうとするディランの姿が垣間見える。 名曲「マイ・バック・ペイジス」ほか収録 ブリンギン・イット・オール・バックホーム」 フォークからロックに目覚めたディラン、その一発目がこれ。同じ年にディランは↓の二作も発表。 「追憶のハイウェイ61」 6thアルバム。 名曲「ライク・ア・ローリングストーン」収録 エレキ三部作の最後を飾る名盤「ブロンド・オン・ブロンド」(66年) ニューポート・フォーク・フェスでのボブ・ディラン |