愛と平和と自由と、何か現実を忘れさせてくれる刺激を求めて、アメリカ中の若者が、ミュージシャンが、バンドが、狂ったように暴れ回った60年代は、まさに<若者の時代>だった。アメリカの青春だった。「青春」という響きは、美しく、全てを肯定してしまう様な力を持っているが、同時に、儚(はかな)い。
「青春時代が夢なんて、後からほのぼの思うもの」と歌ったのは森田公一とトップ・ギャランだが、その時代に生き、その場所にいた全ての若者、ミュージシャンたちは、本気で自分達がアメリカを変え、世界を変える事が出来るし、また、そうなるべきだと思っていたのだ。
「今って夢の様な時代だよなぁ、俺たちまさに生きてるって感じじゃん?」なんて思いながらヒッピーをやっていた訳ではない。
しかし、ありったけの自由と冒険が許された青春時代も、いつかは風に吹かれて飛んで行く。
1969年8月15、16、17日の三日間に渡って行われた、史上最大の「愛と平和と自由」のロック・フェスティバル「ウッド・ストック」をピークにその青春の炎は爆発するのだが、これが皮肉な事に、40万人もの観客を動員してしまったことで企業や資本家、レコード会社などに「これは金になる」と気付かせてしまい、そのすぐ後、1970年にウッド・ストック同様「愛と平和と自由」を掲げ、イギリスのワイト島で開かれたロック・フェスティバルでは、ウッド・ストックを上回る60万人もの観衆から、しっかり入場料を取る事になった。(ウッド・ストックは事実上無料だった)
それにより、「ロックは反・商業主義のハズだ!」という幻想から覚めぬ観衆と、ギャラを受け取る出演者との間に摩擦が起こり、「資本主義のブタ」「そんなに金儲けしたいか」などという罵声のもとに、裏切られたと感じた観衆は暴徒と化した。フィールドを仕切る壁をぶち壊し、無秩序状態となった。
フェスティバルが終わってみると、そこには60万人分のゴミと、汚物と、壊された施設の残骸が残されていたと言う。
それは目が覚めて、全身から力が抜け、虚脱感と不毛感に襲われた若者の心の中をそのまま映し出している様に思う。ゴミと汚物だけではない、それは夢の残骸でもあったのだ。
ラブ&ピースの崩壊と共に、「愛と自由と平和」の象徴的なヒーローだったジム・モリソン、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョップリンのいわゆる「3J」もこの世を去る。ジム・モリソンは71年、ジミヘン、ジャニスは70年に死亡。ドラッグの過剰摂取だったと言うのが定説だが、未だ真実は分からない。
時代のエネルギーを全て背負って立っていたかの様な、人智を超えた才能とカリスマ性を持った三人のあっけない死は、60年代の終結を体現しているようにも思える。花火の様に生き、死んだ彼らを「神からの贈り物」と思ってしまうという、「ザ・フー」のピート・タウンゼントの言葉が、彼等の生と死に、一番ピッタリな言葉なのではないかと思う。
アメリカ社会の抱えていた諸問題(ヴェトナム戦争、公民権運動、女性解放運動など)は、70年代に入っても、相変わらずデモや行進が行われ、国民の問題意識を刺激していたが、それらがロックと結びつく事は少なくなっていった。
ワイト島に象徴される、ラブ&ピースの現実と馬鹿らしさを知った多くの若者たち、そしてミュージシャンたちは、そんな社会問題を歌ったり聴いたりすることにウンザリしてしまったという面もあるだろう。それに何より、あらゆる流行は去るのだ。
ラブ&ピースは流行、熱病、ファッションだった。
心の底からそれを信じ、行動に移った若者もいれば、何となく皆について行こうと「ピース」とか言っていた若者もいただろう。いつの時代にもそういう奴はいるものだ。
そして「熱病」から覚めてみれば、肩まで髪を伸ばしハッパを吸ってた奴がシレっとスーツを着こなし就職活動をしていたりする。それが現実である。そうやって人は成長して行く。青春は終わった。
そんな虚脱と、不毛と、敗北感が若者の間に広がる中、死にかけた「ラブ&ピース」にトドメを刺すような、ショッキングで、やかましくて、妖しくて、危険なイメージを売りにするバンドが続々と登場してくる。
第7話「怪物大行進〜グラムショック!〜」 続きを読む⇒
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