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THE BEATLES | 2. イギリスの侵略〜ビートルズ登場〜 |
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60年代、いやロックン・ロールの歴史を語るときに絶対に避けられない存在といえばザ・ビートルズである。どんなに音楽にうとくても、この名前を知らないという人はまずいない。 ビートルズはデビューしたての頃はエルビス・プレスリーやチャック・ベリーといった、50年代のロックン・ロールからの強い影響が見て取れるバンドであり、その熱狂的な支持のされ方はエルビス・プレスリーに代わるものであった。 そんなデビュー当時の彼等のトレードマークと言えば、あのマッシュルームカットだろう。当時は「男のくせに女みたいに髪を伸ばし、前髪を垂らしている!けしからん!!」と大人たちに眉をしかめられ、学校や家庭内で強制的に髪を切られる若者が続出した。 エルビスが確立した「ロック=不良」というイメージに、新たに「ロック=長髪」というイメージを作り上げたのが、ザ・ビートルズである。 ビートルズの人気はとどまる所を知らないかのようにどんどん上がる一方で、ついに彼等は故郷であるイギリスからロック生誕の国、アメリカへと上陸する。 1964年、ビートルズはアメリカでも熱狂的に迎えられ、アメリカの人気音楽番組「エド・サリヴァン・ショー」出演を果たす。そのときの放送はなんと全米で7300万人が見たといわれている。当時のアメリカの人口は1億9千万人だから、いかに当時ビートルズの注目度が高かったか窺えよう。 そしてビートルズにつづけと、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスなどなど、イギリスのトップクラスのバンドが次々にアメリカへと進出していき、ことごとく成功を手に入れるのであった。これを、ロックの世界では「ブリティッシュ・インベーション」(英国の侵略)と言う。 このようにビートルズを筆頭にしたイギリス勢が成功した要因の一つは、彼等が自ら作詞作曲し、唄い、楽器を演奏する「シンガー・ソングライター」だったということが挙げられる。今でこそミュージシャンが自作自演することなどは当たり前だが、当時はバンドのメンバー以外に作詞作曲をする人がいて、その人達が完成させた曲をバンドが演奏するといった形が多かったのだ。 この状況に危機感を抱いたのは他でもないアメリカのミュージシャン達だ。特に、それまでアメリカ中の女の子のハートをさらっていたビーチボーイズにとって、ビートルズを筆頭とするイギリス勢の台頭は脅威以外の何物でもなかった。 そんなビーチボーイズをあざ笑うかのように65年、ビートルズは傑作「ラバー・ソウル」を発表する。この「ラバーソウル」は、彼らの音楽に染み込んでいた、ポップで覚えやすい、メロディー主体のカントリーウェスタンやポップスからの影響を、ある意味で払しょくし、より芸術性を重視した内容で、全編にわたって落ち着いた雰囲気を持った、ちょっと大人の、詩情溢れるアルバムだった。 このビートルズの「脱皮」に衝撃を受けたのが、ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンである。「ラバーソウル」に衝撃を受けた彼はまるで何かに取りつかれたかのようにお気に入りのスタジオ・ミュージシャンと二人だけで何カ月もスタジオにこもってしまう。(バンドメンバーは閉め出しを食らった) ルックス、キャラクター、音楽性、演奏、実験精神、どれをとっても本物の才能の塊であるビートルズに対抗するにはどうすればいいのか・・・。自分たちはずっとお気楽なサーフィンミュージックだけやっていていいのか・・・??? スタジオにひきこもったブライアンの、まさに魂を削るような曲作りがスタートする。 そうして翌年の66年、ついに新生ビーチボーイズの大傑作アルバム「ペット・サウンズ」が完成する。他のメンバーはコーラスとボーカルのみの参加なので実質的にはブライアンのソロ作品だが、美しいハーモニーとメロディは紛れもなくビーチボーイズだった。この作品は商業的にも成功し、批評家からも絶賛され、イギリス勢に押され気味だったアメリカン・バンドの底力を見せつけた。 これに仰天したのが他でもない、ビートルズのポール・マッカートニーである。 ビーチボーイズの「ペットサウンズ」に衝撃を受けたビートルズは、前作「ラバーソウル」とは打って変わった実験的なアルバム、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハ―ツ・クラブ・バンド」を作ることになる・・・。 このように、英米両国のバンドは互いに刺激を与え合いながら、より新しいロック、より人の心を動かすロックを模索していたのである。 ビートルズの偉業は、ビートルズだけで作ったものではないのだ。 続きを読む「第3話 ボブ・ディラン」 |