ねむい・・・。
高校生の頃、初めてオアシスの「ビー・ヒア・ナウ」を聴いたときの僕の感想はこれだった。ねむい・・・・。
一本調子で抑揚のないボーカル、伸びきったゴムのような締まりのないリフ、曲と曲の合間に挿入される、意味不明なプロペラ音やさざ波の音・・・。
正直、こんなかったるい音楽のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
ライナーノーツ(CDに同封されている解説書)にはオアシスがいかに素晴らしいバンドで、いかに偉大で、いかに時代を映し出しているかといったゴタクが並べられており、ちょっとした劣等感を覚えたものだ。
しかし、今となってはライナーノーツの方が間違っていたのだとわかり、安堵している。ちょうど手元にあるので引用してみよう。
◆「毎月のようにニュースを提供しながら、彼らはこんなにも当然に、言ったとおりの素晴らしい作品を作り上げてしまった。この事実は、驚きというものをはるかに超えて、もはや笑っちゃうほど馬鹿馬鹿しい出来事のようにすら思えてしまう。だって、そうだろう。この期間、オアシスの成し遂げたことの尋常のなさは、ほとんどビートルズ初中期の「事件」を倍速にして観るようなものだからだ」(中略)
「もう僕は50回聴いた。これからも聴き続けるだろう。絶対。だって、こんなアルバムあるか他に。鬱屈という名の日常を怒鳴り散らすようなこのアルバム。オアシスは、ほんとに勇気そのものだ。世界中でこれ以上ないくらい単純な勇気だ」なんたらかんたら・・・・
ロッキングオン/バズ 宮嵜広司 (OASIS 「BE HERE NOW」 ライナーノーツより)
当時の僕が「提灯持ち」という言葉を知っていたら、いくらか救われたろうと思う。
日本の音楽雑誌が絶賛したこの「Be here now」はイギリス本国ではボロッカスに言われた。今では「このアルバムをもってブリットポップは終わった」という人さえいるくらいで、オアシス本人もベストアルバムを作るに当たって、このアルバムからは一曲も選曲していない。
前置きが長くなったが、とにかく僕にとってオアシスは「眠い」バンドであり、「鬱屈という名の日常を怒鳴り散らす」どころか、「鬱屈という名の日常」そのもののようなバンドだった。そしてその考えは今でもちっとも変わらない。なぜなら、それが「ブリットポップ」というものだからである。
これから詳しく説明するが、ブリットポップとは「怒鳴り散らす」のをやめ、背伸びせず、そのままの自分(等身大といってもいい)で行こうというムーブメントだからだ。
キーワードとして「自然体」「日常性」「等身大」こう言った言葉を頭の片隅において置くと理解しやすいと思う。では説明しよう。
あるムーヴメントの特徴を的確につかむには、そのムーヴメントの中心にいる人たちの服装をチェックするといい。つまりファッションから分析するわけだ。ブリットポップの場合、「ジャージ」を着ている。特にブラーのデーモンやオアシスのギャラガー兄弟に顕著である。もちろん、大昔の体育教師が着ていたような「イモジャー」ではなく、もうちょっと洒落た感じにデザインされたジャージだが、ジャージであることに変わりはない。
90年代以降に制作されたイギリスのコメディドラマや映画を見ていると、必ず何人かジャージもしくはウィンドブレーカー姿の奴が出てくる。といっても別にスポーツ選手という訳じゃない。普段着として着ているのである。
しかしアメリカ映画でジャージ姿の若者が出てきたら、そいつは大体アメフトかラグビーの選手で、もしそれが中年女性であったりすると、ほぼ確実にランニングかスポーツジムの帰りという設定になる。もしくはもう外出する可能性のない、就寝前の場面とか。
ここにイギリスとアメリカの違いが出ていて面白い。イギリスではジャージは普段着として認められるのに、アメリカでは認められていない。なぜか?恐らく、パジャマにも等しいそんなものを一日中着ていると周囲から「無職者」「怠け者」と思われやしないか、という心配がアメリカ人にはあるからだろう。
だからアメリカ映画では「ジャージを着ているけどこの人はマトモな市民ですよ」という説明も込めて、タオルを首からかけさせたり、iPodを持たせたりしているのである。
しかしイギリスは違う。少なくとも今は違う。かつてはアメリカ人と同じように「ジャージなんか着てる奴は負け犬だ」と思っていたかも知れないが、あるところから「ジャージのままでもいいじゃないか!」という生き方に変わった。
そしてその「ジャージのままでもいいじゃないか」という一種の「敗北宣言」とも言える開き直りが、ブリットポップ誕生の鍵を握っていると僕は思うのである。
「敗北宣言」と僕は言った。しかしこれは正確ではない。正しくは「リタイア宣言」というべきである。ではイギリスは何から「リタイア」したのか。日本・アメリカを先頭とする国際競争からである。
80年代のイギリスは「鉄の女」ことサッチャー首相の強健な保守主義の下にあった。サッチャーは「サッチャリズム」と呼ばれる「新自由主義」を基盤にした経済政策を推し進めた。
新自由主義というのは規制緩和、民営化、外国資本の参入推奨などで経済を活性化させるという競争型の経済理論のことなのだが、小泉政権下の日本がそうであったように、競争に勝てばよいが、負ければ地獄という「弱肉強食」的な政策で、イギリスではこれが完全に裏目に出た。
国内市場を外国資本に奪われ、多くの失業者を出し、92年には「ポンド危機」を招き、イギリス経済は破滅一歩手前まで行った。
サッチャーは79年から90年までの11年間もの間首相の座についていたから、イギリス国民は80年代を丸々サッチャリズムの下に置かれていたことになる。
このトラウマ的経験から「もういいよ、アメリカとか経済成長とか、うちらはうちらでのんびりやろうよ」といった倦怠感が大衆の間に漂い始めたとしてもおかしくはないだろう。
もちろん、「リタイア」出来たのには、経済危機もさることながら、ソヴィエトが崩壊し、冷戦が集結し、以前ほどアメリカの力が必要でなくなった、という現実的な判断もあったろう。
とにかくイギリスは90年代に入るや「負け犬」の道を負け犬然として堂々と歩み始めたわけだ。
第24話「ブリットポップとは何かA」」 続きを読む⇒
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